文化・芸術

2006年11月24日 (金)

引用三昧です。

” 実は、驚くかもしれないが、「子供」という言葉が、今、「差別用語」として、出版界や教育現場などあちこちから追放処分を受けているのだ。その代わりに、「子ども」と、「供」をひらがなに直した表記ばかりを目にするようになった。 ”
~「はなごよみ」サイトマップ~   より引用
 
 
 
なにやら、はなごよみ氏の母校で創立20周年記念の文集を出す事になり、その過程で
「父兄」→「父母」
「子供」→「子ども」
へと、書き換えられているそうです。「父母」は実態に合わせた為なのか分かりませんが「子供」に関しては差別表現になる、と学校側から説明を受けたそうです。
では何故、差別表現なのか
 
「供という字はお供の供、付属物の扱いみたいだから良くない。」
 
だそうです。はなごよみ氏は続けます、
 
” 子供の本来の意味は子の複数形である。(男共のように)
しかし、現代語では一つの言葉として使用され、「こ+どもではない」
その証拠に、子供の複数形は「子供達」であるのに対し、男共の複数形は「男共達」ではない。 
字も「男共」と書くのに対し「子共」とは書かない。

つまり、本来「こども」の「ども」は、複数形を現す言葉であり、お供ではない。
「供」の字も、なぜこの字を当てたかは未だ不明。にも関わらず、証拠もないのにイメージが悪いからと縁起担ぎだけで日本語の日常重要単語を一つ抹殺されてしまっては、全く迷惑な話である。 ”
 
仰る通りだと思います。他にも、
*支那・・・支那は英語のCHINAと同じ語源で、江戸時代から使われていた中国の通称なのです。
*くろんぼ・・・使い方によっては愛称とも蔑称ともなり、そして日本人にさえ使われるのです。
*百姓・・・お百姓さんは誇りを持って自分を「百姓」と呼ぶ。
*片手落ち・・・「片手」+「落ち」ではなく、「片」+「手落ち」であり、「手」とは「仕事」を指しています。
など、本来の意味や歴史を遡れば、決して差別表現では無い事を、はなごよみ氏は訴えて居られます。
 
言葉の由来や本当の意味を理解せず、聞き触りが悪いから、相手に誤解を与えるから、など冤罪とも思われる理由で言葉が消えてしまうのはとても悲しく感じます。

いや~、引用ばかりなのに疲れてしまった・・・。
知り合いの農家の方は「100の事が出来るから百姓なんだ。」と、いつも自慢げに話してくれました。
実際何でもやってました。牛舎建築、あんきょ堀り、造成、溶接、解体、人工授精etc
「野菜を買うなんて農家の恥だ」と息子夫婦の事を愚痴ってもいました。

まだ頑張ってるのかなぁ~、あの爺ちゃん。

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